千葉大学学術リソースコレクション c-arc

大原幽学書状

大原幽学(1797-1858)は、江戸時代後期の思想家・農民指導者として知られる人物です。天保13年から下総国香取郡長部(ながべ)村(現千葉県旭市)で、神・儒・仏を融合させた性学(性理学・道学)をもとに農民を指導し、すぐれた農業技術の導入や協同組合の先駆とも言われる先祖株組合の結成などに取り組み、農村の立て直しに尽力しました。

千葉大学附属図書館では、井上善次郎博士1のご子孫から寄贈を受けた大原幽学直筆の書状10通を所蔵しています。このうち8通は、幽学の門人のなかでも高弟とされる香取郡諸徳寺(しょとくじ)村の名主・菅谷又左衛門宛、1通は同じく幽学の門人だった香取郡米込(よねごめ)村の杉崎伝蔵・菅谷又左衛門両名宛です。残り1通は幽学が信州小諸などで活動していた時の門弟たち=小諸惣道友中宛となっています。これらの書状は『大原幽学全集』千葉県教育会編(1943年)2にて紹介されています。

  1. UV Mirador 大原幽学書状 1
  2. UV Mirador 大原幽学書状 2
  3. UV Mirador 大原幽学書状 3
  4. UV Mirador 大原幽学書状 4
  5. UV Mirador 大原幽学書状 5
  6. UV Mirador 大原幽学書状 6
  7. UV Mirador 大原幽学書状 7
  8. UV Mirador 大原幽学書状 8
  9. UV Mirador 大原幽学書状 9
  10. UV Mirador 大原幽学書状 10

大原幽学書状の公開にあたって

小関悠一郎千葉大学教育学部准教授(日本近世史)

千葉大学附属図書館所蔵の大原幽学書状がインターネット公開される運びとなりました。同館所蔵の歴史資料に関しては、千葉大学学術リソースコレクション(c-arc)によって、古医書コレクション、江戸・明治期園芸書コレクションのほか、犢橋村(現千葉県千葉市花見川区犢橋(こてはし)町)の名主家に伝来した町野家文書が公開されています。大原幽学は日本近世史研究でも注目されてきた人物ですが、このたび、その直筆書簡(千葉大学附属図書館所蔵の10通)が、上記のコレクション等に加えてインターネット公開されることは、大変喜ばしいことです。

大原幽学は、紹介文にもあるように、天保年間(1830~44)以降、下総国香取郡長部村を拠点に取り組んだ農村改革の実績によって、江戸時代後期の農村指導者として広く知られてきました。当時の幽学の活動は、全国的な影響力を持つようなものではありませんでしたが、にもかかわらず、近代以降、幽学の存在は、一貫して脚光を浴び続けてきました。大正から昭和戦中期にかけては、田尻稲次郎『幽学全書』3、千葉県教育会編『大原幽学全集』(1943年)が刊行され、大原幽学を知るための基礎が築かれました。戦後になっても、タカクラ・テルの小説『大原幽学』をはじめ、中井信彦『大原幽学』木村礎編『大原幽学とその周辺』などの学術研究でも大きな成果が生み出され、『旭市史』『海上町史』などの自治体史でも取り上げられて、理解が深められてきました。

その一方で、幽学についての基礎的資料として用いられてきた『幽学全書』や『大原幽学全集』については、その収録史料の一部に不正確な表記が見られることが指摘されています。そのため、江戸時代当時の一次史料(大原幽学関係資料)は、現在も幽学についての正確な理解に不可欠のものとなっています。大原幽学関係資料の多くは、大原幽学記念館(旭市)に収蔵されていますが、それらを含めた関係資料全体から言えばごく一部とはいえ、インターネット公開という、誰もが利用しやすい形で原史料の閲覧ができるようになったことには大きな意義があります。

実際、今回公開された書簡と、『大原幽学全集』「書翰集」の部および『史蹟名勝天然記念物調査 第16輯(大原幽学先生関係書翰集)』(千葉県、1939年)に掲載された書簡の翻刻文とを見比べると、翻刻の際の誤読と見られる文字も複数にわたり見受けられます。今後、大原幽学に関心を持つ多くの方の閲覧を経ることで、より正確な書簡内容の再現が期待されるのです。

今回の大原幽学書状の公開は、研究利用はもちろん、教育や地域の現場での利用をも容易にするものです。c-arcでの公開によって、千葉大学が所蔵する学術リソースが、多方面に大きな効果をもたらすことを期待しています。

猪野映里子大原幽学記念館

大原幽学記念館は、幽学関係資料が平成3年に国の重要文化財に指定されたことから開館した博物館です。

記念館の所蔵資料約3万点のうち407点が重文資料で、そのなかで書状は54点212通を数え、幽学の教導や門人たちとの交流を伝える貴重な位置づけの文書群となっています。千葉大学で所蔵されている書状はこれらと同種のものと考えられ、このような形で幽学の資料が多くの方に触れることを大変嬉しく思います。

また、菅谷又左衛門家は幽学生前から没後にいたるまで中心となって門人組織を支えた高弟で、この資料も多数記念館で所蔵しています。幽学研究のみならず、近世後期から近代にかけての農村の諸相への研究の足掛かりとして、ぜひ大原幽学記念館を活用してもらえればと思います。

関連リンク

  1. 井上善次郎(1862-1941)

    明治22年に東京帝国大学医科大学を卒業。本学医学部の前身である第一高等学校医学部(千葉)の教授を経て、同校が千葉医学専門学校となった時、初代第一内科教授になられた内科学の権威で、本学医学部の基礎を作りました。明治38年(1905)わが国初の内科大系書『井上内科新書』全4巻を刊行(亥鼻分館所蔵国立国会図書館近代デジタルコレクション所収)。千葉市内にある井上病院の創設者でもあります。

  2. 『大原幽学全集』千葉県教育会編 1943年

    以下で閲覧可能

  3. 『幽學全書』 大原幽學著 ; 田尻稻次郎編 1911年 同文館

    以下で閲覧可能

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